つれづれ

備忘録

喜びの種をまこう

コメントする

雨の日には 雨の日の
悲しみの日には悲しみをとおさないと見えてこない
喜びにであわせてもらおう
そして
喜びの種をまこう
喜びの花を咲かせよう
ご縁のあるところ いっぱいに……

東井義雄

——————————————–

仏法に「無財(むざい)の七施(しちせ)」という教えがある。
財産が無くても誰でも七つの施しができる、喜びの種をまくことができるという教えである。
財産が無くて、どうして施しができるのか。何を施せるのか。

『雑宝藏経(ぞうほうぞうきょう)』は、「仏説(と)きたもうに七種施あり。財物を損せずして大果報を得ん」として、七つの方法を示している。

一は「眼施(げんせ)」──やさしいまなざし。
二は「和顔悦色施(わがんえつじきせ)」──慈愛に溢れた笑顔で人に接する。
三は「言辞施(げんじせ)」──あたたかい言葉。
四は「身施(しんせ)」──自分の身体を使って人のために奉仕する。
五は「心施(しんせ)」──思いやりの心を持つ。
六は「床坐施(しょうざせ)」──自分の席を譲る。
七は「房舎施(ぼうしゃぜ)」──宿を貸す。

大きなことでなくともいい。人は日常のささやかな行いによって喜びの種をまき、花を咲かせることができると釈迦は教えている。自らのあり方を調(ととの)えよ、という教えでもあろう。

「無財の施(ほどこし)」の教えで思い出すことがある。
生涯を小中学生の教育に捧げた東井(とうい)義雄先生からうかがった話である。

ある高校で夏休みに水泳大会が開かれた。
種目にクラス対抗リレーがあり、各クラスから選ばれた代表が出場した。
その中に小児マヒで足が不自由なA子さんの姿があった。からかい半分で選ばれたのである。

だが、A子さんはクラス代表の役を降りず、水泳大会に出場し、懸命に自分のコースを泳いだ。
その泳ぎ方がぎこちないと、プールサイドの生徒たちは笑い、野次った。
その時、背広姿のままプールに飛び込んだ人がいた。校長先生である。
校長先生は懸命に泳ぐA子さんのそばで、「頑張れ」「頑張れ」と声援を送った。
その姿にいつしか、生徒たちも粛然となった。

こういう話もある。
そのおばあさんは寝たきりで、すべて人の手を借りる暮らしだった。
そんな自分が不甲斐ないのか、世話を受けながらいつも不機嫌だった。
ある時一人のお坊さんから「無財の七施」の話を聞いたが、
「でも、私はこんな体で人に与えられるものなんかない」と言った。

お坊さんは言った。
「あなたにも与えられるものがある。人にしてもらったら、手を合わせて、ありがとうと言えばよい。言われた人はきっと喜ぶ。感謝のひと言で喜びの種をまくことができる」。

おばあさんは涙を流して喜んだという。

「喜べば喜びが、喜びながら喜び事を集めて喜びに来る。
悲しめば悲しみが、悲しみながら悲しみ事を集めて悲しみに来る」
──若い頃、ある覚者から教わった言葉である。喜びの種をまく人生を送りたいものである。

最後に、東井先生からいただいた詩を紹介したい。

雨の日には 雨の日の
悲しみの日には悲しみをとおさないと見えてこない
喜びにであわせてもらおう
そして
喜びの種をまこう
喜びの花を咲かせよう
ご縁のあるところ いっぱいに……

種を蒔く

2007年12月号特集「喜びの種をまく」総リードより

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中